僕の地獄に音楽は絶えない

「大学の男連中がやたらと最近"キミと合体したい"って言って"やばー"みたいな感じで笑いあってるんだ。俺はあれが気持ちが悪くて仕方ない」
そう言ってきたのは慶應大学に通う、高校からの友人の木下だった。
「創世のアクエリオンだな。わかるよ。俺の大学の男達もそんなこと言っていた」
「観たことあるか?」
「いや、全くない。だけどみんな口々に"アクエリオン舐めてた""アクエリオン予想より熱い"とか言ってるよ。ただ生憎、俺の大学は臆病者ばかりだ。合体したいを口説き文句に女性に言っている男は見たことがない」
「それは俺の大学も同じだ」
「歌は知っているか?"一万年と二千年前から愛してる"ってやつだ」
大学二年生くらいの頃、AKINOの歌う創世のアクエリオンがとても流行った。
よく頻繁に他大学の女子達と合コンをしたり、あるいは非モテSNSや2ちゃんねるのオフ会に参加していた私は、そこでいくカラオケで毎回誰かしらが創世のアクエリオンを歌い、それを聴いていた。
一万年と二千年前から愛してる。
なぜそれは一万年と二千年で区切る必要があるのだろうか。一万二千年前では駄目だったのだろうか。
加えてこの歌をうたう連中は、なぜこうも平気で出ない裏声にチャレンジするのか。
Mr.Childrenの365日という歌で、"君に触れたい。心にキスしたい。昨日よりも深い場所で君に出会いたい"という歌詞がある。
『昨日よりも深い場所、って一体どこなんだろう?』
そんなことを呟いていた女子高生がいたと聞くが、彼女の抱く疑問に比べると、私のこのアクエリオンの歌詞への疑問はあまりにも陳腐だ。
「もちろん知ってる。俺はアニメは観ていないがあの歌がとても好きだ」
そう木下は答えたが、それは結構意外であった。
「アニメを観ていないのにあの歌の良さがわかるのか?俺は同級生とのカラオケでうんざりだよ」
「わかるさ。湘南台の駅前にパチンコ屋がある。俺はいつも駅前のコンビニでカップラーメンを買った後、そのパチンコ屋の前を通る。すると店頭でBGMが流れてるんだ。何度も何度もリピートされて。それが創世のアクエリオンだ」
「お前はパチンコなんかしないだろう」
「ああ。だからパチンコはせずに、毎回店の外で歌っている」
そう言うと木下は、「ここの部分が好きなんだ」と続け、口ずさんだ。
【この気持ち知るため、生まれてきーたーっっああああっ!】
「この"ああああっ!"が良いんだよ」
「お前はわかってないな。良いのはそこじゃないよ」
私は反論し、負けじと口ずさんだ。
【君の名を歌うためーにぃ…ぃい…】
「この"ぃい…"が良いんだよ」
「いや、わかってないな。"ああああっ!"だ」
こっちはサビ前が2回あり、いずれもああああっ!だから2回も聴けてお得だ。
いやいや、こっちはその直前のくーしゃくしゃになったとしてーもーぉぉっおっおー!も抜群に良くて、そこからの"ぃい"がたまらないんだよ。
私たちは訳の分からないアクエリオンパンチラインディベートを続けたが、討論は答えを導き出せなかった。
「ならいまから駅前のパチンコ屋に行って確認しよう」
そう持ちかけてきたのは木下だった。
前日私達は自主制作の映画を撮っていた。
深夜まで編集をして、木下の家で酒を飲み、仮眠を取った後が冒頭の会話た。
時刻は11時をまわっている。パチンコ屋は開いている。
「じゃあ俺は帰るから、その前に確認しようか」
私はそのように了承すると、すぐに身支度を整えた。
「朝ごはん食べる?炊いたけど」
どうやら木下は私より早く起きて米を炊いていたらしい。
少し前にいま木下が指差す炊飯器についている茶色い染みを、私が「お前の炊飯器、ウンコついてんぞ」と指摘したことで若干ケンカになった。
「ウンコなわけないだろ。中古で買ったんだから仕方ないだろ染みは」
「なら元の炊飯器の持ち主がウンコしたんじゃないか」
あの炊飯器で炊かれた米を、彼はまた私に食べさせようとしている。
私はそもそも中古で炊飯器を購入するということ自体に正気を疑っていたので、当然ながらその提案は喧嘩にならない程度にやんわりと断った。
○
湘南台の駅前は毎日学生で溢れている。
この辺りには木下の通う慶應義塾大学他、多くの大学が密集しており、さながら高田馬場や市ヶ谷、あるいは京王多摩センターのように、学生の街としての側面を持っている。
10時前であればパチンコ屋の前に大層な列ができていて、趣味の悪いチェック柄の制服をきた若い店員が整理券を配っているのをよく目にした。
あの長蛇の列が何を示しているのかは、パチンコを一切やらない私には皆目見当もつかないと言ったところだが、時刻は既に正午過ぎ。
まばらな人数がやや急ぎ足で自動扉の向こう側に消えていくのが確認できた程度だ。
なかなかアクエリオンのBGMがかからないので、私達は路上で特に何かをすることもなく、思い出話に花を咲かせた。
「来年にはもう就職活動を始めなきゃいけない。大学生活は4年間遊び放題だなんて嘘だ。結局3年には将来を決めなくちゃならないし、その前の2年間は勉強と単位だ」
「将来やりたいことがあるのか?」
「ないから頑張って良い大学に入ったんだよ」
で、あるならば同じく将来やりたいこともなく、なのに低い学歴大学に入り、4年間目一杯遊びまくってやろうとしている自分は惨め以外の何者でもない。
「映画でも撮るか。将来も」
「お前は日大芸術学部のOBに、才能が無いって言われてただろ」
「あれは逆にそいつの才能が無いんだよ」
「だとしても…映画じゃ食えないだろ」
俯きながら噛み締めるようにそう呟いた後、木下は絞り出すように「働きたくねえなあ…」と言った。「生きていくには働くしかないもんな」と続けて。
ようやくけたたましいアコースティックギターの音と共に、創世のアクエリオンが流れた。
世界の始まりの日
生命の樹の下で
くじらたちの声の遠い残響 二人で聴いた
直前までのネガティヴな会話はどこへやら、あああっ!…ぃい…論争はどこへやら。
アニメなんか観ていないと言っていたはずだったが、私も木下も当たり前のように一言一句間違えることなく歌詞を口ずさみだした。
当然裏声なんか出ない。
けれども曲が進めば進むほど、私たち二人の声はどんどん大きくなった。
Aメロが終わり最初のサビが終わり、Bメロに突入する頃には、人目も憚らず私達は熱唱していた。
蘇れ、永遠に枯れぬ光。
汚されないで君の夢。
祈り宿しながら、生まれてきた
ああああっ!!!!
この曲を歌う我々に感情なんて無いはずなのに、感じる幻視的な痛みごと、私と木下は叫んでいた。
○
THE FIRST TAKEでAKINOが登場し、創世のアクエリオンを歌った。
最後にこの曲を聴いたのはもう15年近く前だ。
当時からAKINOの歌唱力は他の追随を許さないレベルで圧倒的であったと思うが、時を経てこうしてマイクの前に立ち、何かを語るでもなく発せられた第一声は
一万年と二千年前から愛してる
であった。
原曲には無いアレンジでのサビスタートであったが、やはりそれはどんなに時が経とうが不変的に圧倒的だった。
一万二千年を歌う彼女に、十五年なんて時間はあまりにも些細でちっぽけだ。
懐かしい。いつ何度聴いたって名曲。
同時に、木下のことを思い出した。
木下は、間違いなく親友だった。
私が彼の炊飯器にウンコがついていると言ってブチギレられたこともあったし、
彼がわざわざ私が彼女といる時間を狙って家を訪れ、AVを借りようとしてきてブチギレたこともあった。
自主映画だって一緒に撮ったし、吉沢明歩のサイン会やイベントにだって行ったし、2ちゃんねるのオフ会で代々木公園で鬼ごっこだってやった。
一緒に湘南台の駅前のパチンコ屋に向かって、創世のアクエリオンを歌った。
だが親友であるのに、あれは間違いなく青春の良い思い出なのに、いつの間にか私はその事象も、思い出も
木下という親友のことさえも、たったの15年で忘れ去ってしまっていた。
特にケンカをしたわけでもないが、お互いの環境が変わり自然と会う時間が減った。
折りたたみ式の携帯電話はスマートフォンにとって代わり、連絡手段はメールからLINEに代わっていった。
私がスマートフォンを持ち、LINEをインストールしてしばらく経った頃にはもう、彼の連絡先なんかわからなくなっていた。
風の噂で木下は心を病み、会社を辞めたときいた。
共通の友人も、全く連絡がとれなくなったと言っていた。
彼は繊細なタイプではなく、どちらかというと図太いくらいだ。
休み時間に菓子パンを食べていて、菓子パンを食うなと激怒した教師に、「授業中ならまだしもなんで休み時間にパン食っただけで怒られないといけないんですか」と言い返すほどの男だ。
噂が真実だとすれば、そんな男ですら、心を病ませるほど、いまの日本社会はたまりにも厳しい。
でも俺は思い出した。
思い出したんだよ木下。
元気か。このファーストテイク、観てるか?
やっぱり名曲だわ。
で今ならわかるけど、やっぱり"ぃい…"より"ああああっ!"の方が良いかもしれない。
まあどっちにしろ名曲だよね。
もうそうすることがなんの意味もなさないのはわかってるけど
また一緒に映画撮ろうよ。
ミッシングチャイルドビデオテープみたいなホラーをさ。
俺たちはもう若者ですらない。
でも思うに、まだ10000年と1985年くらいの時間が残ってる。
そんな気がするんだ。
家のリビングで、私は動画をもう一度観ながら、いまは一人で熱唱をした。
見守る僕が、眠れない僕が
くしゃくしゃになったとしても
君の名を歌うために…ぃい…!