春山、お前…ループしてね?

俺は気付いてしまった。いまこの世界は、一周目ではないというのとに。

深夜高速

「俺は5年で必ず課長になります。だから腐らずに、一緒に出世しましょうよ」


1ヶ月前、私はもといた1課から人事異動で2課へとうつることになったわけだが、担当案件を引き継ぐ相手は中途入社の25歳の佐々木だった。

「私はこの3週間一緒に仕事をして、ほんとに勉強になりました。だからこそ、また一緒に仕事したいんです。お互いに成長して」


うるせえよ、と心の底から思った。

しかしそれを口にしたところでどうにもならないことなので、ただただ私は「まあ俺のことはいいから。応援してるよ」と軽く遇らうことにした。


私は間違いなく部長に嫌われていた。


どんなに数字をあげても、どんなに社内委員を率先してやっても私の評価はBであり、部長はそのフィードバックを私に一度も行っていない。

しかもあろうことか私のいないところで新たに1課に配属になった課長に「面倒な奴がいなくなってこれでやりやすいだろ」と部長が言っているということも判明してしまった。


意味なく誰かに好かれやすい場面もあれば、反対に意味なく誰かにやたら嫌われる場面もある。


本当はなんらかの意味があるのかもしれないが、それを知ったところで心は崩れていくだけなので、"意味なく"嫌われている、で良いと常々思う。

まして今回に至ってはそうしないと下手をすれば死を選んでしまう。


「部長が先輩と飲みたい、って言ってました。今度どうですか一緒に」

佐々木がそう話しかけてきたのはそれから2週間後だった。


「それは嘘だな。俺は部長に嫌われてるから」

「本当ですよ。言ってましたもん」

「ってかもう部長と飲みに行ってんの?」

「はい。そうやって一緒にお酒飲んで仲良くなって、働きやすい環境にして、成果をあげたいんです」

「いつの時代だよ。酒で成り上がろうとすんなよ」

「でも実際うまくいきます」

「いかねーよ。そんな関係いらねーよ」

「切磋琢磨したいんです。なんでそんな無碍にするんですか。チャンスかもしれないじゃないですか」

「体調悪いんだよ。部長によろしく伝えといて」


そう言って佐々木を振り切るように私は家路についた。








渋谷駅から京王井の頭線に乗り、駒場東大前駅で降りて目的地へ向かう際、私は過去を思い出していた。


最後に駒場東大前に降りたのはもう15年以上前で、あの日就活生だった私は、汗をかきながらリクルートスーツで下着メーカーの会社説明会に向かったのだった。


その日の午前中、大学で友人とリクルートスーツのままPSPディシディアファイナルファンタジーで遊んでいたところ、既に内定を決めていた大矢が私の肩を叩き、「遊んでる場合かよ」と苦言を呈した。

「今日説明会だろ?アドバイスするよ」と大矢は言ったが、私はそれに対し「いや、いらんけど」と冷たく返答した。


たしかに大矢はそれなりの企業から内定を貰っていたが、そもそも大矢は熱心な某宗教法人の信者であり、内定企業はその某宗教法人のフロント企業であると有名な会社であった。

当時の私には偉そうにする大矢も、わけのわからない宗教法人も、大矢が毎日連れ歩いていた安い杓文字のような顔の女もクソ以外の何物でもなかった。


「ほら。そろそろちゃんとしないとヤバいだろ。スクールバスの時間だから中で話そう」

「いや俺バス乗んないし」

「は?駅までどうすんの?」

「歩くから」

「え?徒歩40分もあるぞ?」

「知ってるけど?」

「説明会前にわざわざ疲れてどうすんだよ。ほら。バス乗るぞ」

「俺は疲れて汗だくの状態で説明会に参加して、下着会社に就職しようとしてるエロい女たちにワキから出る汗の臭い撒き散らしたいんだよ。だから歩くんだよ」


そう言うと近くにいた友人達がドッと笑ったので、大矢は「好きにしろよ」と輪に入らないようにどこかに行った。


そして40分掛けて山道を歩き、汗だくで井の頭線に乗り駒場東大前で降りたわけだが…実際私は疲れきってしまい説明会どころではなくなってしまった。

それでも綺麗な女の子達と同僚になれるのなら…となんとか会場まで辿り着いたが、席に座っていたのはほとんどがやたらとチャラチャラした男ばかり。


説明会の内容も明らかに私が全く携わることが一切ないような畑違いなことばかりだったので、結局疲れ果てたまま会場を後にし、エントリーすらしなかった。


帰り道、駒場東大前という東大生くらいしか降りなさそうな駅で電車を待ちながら「もう二度とこの駅で降りることはないんだろうな」と思った。


それが15年後、こんなに失意のまま仕事で舞い戻ることになるとは。

まあ長い人生だ。そういうこともある。


わずか10分程度で仕事は終わってしまい、次の予定まで何をしようかと考え、この昔のことをふと思い出した。


せっかくだからまた汗をかこう。


私は駒場東大前から渋谷まで二駅分、歩いて移動することにした。








「いやーまさかここに異動することになるとは。よろしくお願いしますね」

「あー異動されるんですか?まだ内辞でてないですよね?」

「お仲間には先に伝えようと思ってね」

「そうなんですか。じゃあみんな知ってるんすね」

「いやいや、クビ仲間だけですよ」

「どういう意味です?」

「僕も同じでクビになって追い出されたんですよ。一緒に底辺からがんばりましょう」


50歳の豊田は私の下へ駆け寄るやいなやそう言った。

豊田は各現場を巡回する係だったが、入社28年でPCは一切使えず、見積作成や報告書作成はもちろんのこと、メールも打つことができない。
文字の変換もできなければ改行もできない。

今年初頭、部長が「見積も営業も事務処理もできないのに経費だけがかかるのはおかしい。だからあなたにもノルマを課す」と直接注意があったものの、
「そんな仕事をする契約をしていません」と反論し、以後外出先でずっと携帯ゲームをやっていた。

糖尿病の持病がありながらファストフードを毎日食べ、コーラをがぶ飲みする生活は当然ながら彼の健康を蝕み、ある日業務中に倒れ、病院に緊急搬送されたわけだ。

彼が倒れた当時、それが労災になるかもしれないということに加え、会社携帯から登録したアダルトサイトよりウイルス感染がなされたことで一部の情報が流出し、社内はとんでもないピリピリ状態であった。


その豊田が復帰し、異動させられ、”クビ仲間”と私を呼ぶのだ。



「豊田さん、業務は何するんです?僕らと一緒に営業やるんすか?」

「いや、自分は外出禁止なんで事務処理と見積作成をとりあえず1か月で覚えるように言われてます」

「大変すねー」

「これで事務処理覚えたらきっと現場に飛ばすんですよ。そこで所長にされて部下とかもたせるつもりなんだろうね会社は」

「いやそれはないですよ」

「ええー。ほんと?」

「だっていまの現場の所長はみんな技術もあるし数字も管理できる。資格もPCスキルも持ってますよ。豊田さんみたいにそのどれも持ってない上に実績も運転免許もない人は所長なんかさせてもらえないですよ。甘くないです」

「いやまあ…たしかに自分は何もないですけど」

「俺はたとえクビであったとしても、いまもノルマもあれば数字もある。やらなきゃいけない仕事は山ほどある。それから!何より俺は健康診断で健康が危なかったら食生活に気をつけたり運動したりして保険に入ってます!入院したって入院代は当然払えます!同僚から15万円内緒で借りてボーナスで返すからとか言って入院代にあてたりしません!ボーナスがちゃんと貰えるように頑張りましょうね!!!!!!」



翌日、豊田は鬱病の診断書を会社に提出し、再び休職へと入った。


人事から同日電話を受けた私は「何かハラスメントにあたるような発言をしたか?」と言われ

「彼が私をクビになったとバカにしてきたので一緒にするなと言いました。あと、健康に気をつけろと同僚に借金すんなとちゃんと働けといいました」と伝えた。

「気持ちはわかるが良い方は気をつけよう。向こうも大事にするつもりはないみたいだから、上には報告しないでおく」

そう言われ「申し訳ありませんでした」と謝罪し、駒場東大前へと向かった。







神泉駅前に差し掛かろうとした際、ラブホテルの前を通った。

乱交の町、神泉…。


23歳の時初めて参加した乱交パーティーで訪れたラブホテルで、大人数でチェックインするというカルチャーショックを味わったホテルだ。

何人もの人数でラブホのエレベーターに乗るなんて経験はなかったし、きっとこれからも無いのだろう。


何もかもがわからないので黙って部屋の隅にいると隣にいたオジサンが無言でひたすらバルーンアートを作りまくってたのを覚えている。

沈黙に耐えられず「上手ですね」とバルーンおじさんに話しかけたが、彼は私がまるで見えていないかのように無視をし、引き続きバルーンアートを作っていた。


「はーい自己紹介〜」と幹事のオジサンがが言うと『よろしく〜』とリサという女がスカートをめくり、Tバックを突き出してきた。

完全にそれに魅了されてしまった私は、その女に誘われるがまま隣の部屋へ行ったのだが、なぜか先程のバルーンおじさんが私の背後からピタリとついてくる。


一緒にシャワーを浴びた際もバルーンおじさんはついてきたし、私がリサという女の左乳首を舐めていたときはバルーンおじさんは右乳首を舐めていた。

最終的には『そこはNGだから』と言われていたにも関わらず執拗に腋の下を舐め続け、『やめてって言ってるだろ!」とブチギレられているバルーンおじさんを見て、私の息子もげんなりしてしまった。



正直、女性の言いなりになって言うがまま行動し、何人もの男がそこに群がる光景なゾンビでしかなく、その中の一員に自分がなっていることを瞬時に俯瞰で理解してしてウンザリしてしまったので、もう二度とそういう類の会に参加することはないだろう。



『この後時間ある?』


先程とはうってかわり服をきたリサがそう言ってきたので、私はプライベートな誘いなのかと思い、「何もありません」と言うと
『みんなでカラオケ行くから参加してね』と無理矢理参加させられた。


そんな煩わしいことせずにエロいことしたいからこういうパーティーに参加したのに、なんで何もかもが終わってからその煩わしいことをせにゃならんのだ、と本当に嫌な気分になった。

しかしいまさら断るわけにもいかず、渋々そのカラオケにも参加した。


「好きな歌うたっていいから」と言われたが参加男性はSMAPや嵐やジャニーズばかり歌うのでついていけず、黙って烏龍茶を飲んでいた。


乱交パーティーでもカラオケでも俺は部屋の隅で黙っているのか…


そんなことを考えていると、Tバックのリサが『これ、私がいれたー』と紛らわしいことを言いながらマイクを持ち、歌い出した。


『生きててよかった!
生きててよかった!
生きててよかった!!!』


聴いた事の全くない歌だった。

とにかく、生きてて良かった!!を連呼する姿が印象的だった。


生きててよかった!!って…

よくさっきまで何本も咥えて楽しんでおきながらそんな歌を叫べるよな…歌詞死んでまうわ…と思いドン引きしてしまった。





2023年9月、10月。

あれから10年が経ち、当時は世界の舞台に手すら届かなかったラグビー日本代表が、ワールドカップでとんでもなく熱い試合を続け、日本中が感動に包まれていた。


同時にその試合中継の合間に流れるSMBCのCMで、岡崎体育が熱唱している歌詞が私に刺さる。


「生きててよかった!
生きててよかった!
生きててよかった!!」


テレビで観た時は、すげえ良いじゃんこのCM…という気持ちが勝り、どこか聞いたことがあるような気もしたが、有名な曲っぽいからきっとなんかで耳にしたんだろうくらいにしか思わなかった。


だが、この神泉のラブホを前にして、一気に当時の思い出が蘇り、私は思わず叫んでしまった。

「あの時のTバック女が歌ってた曲じゃん!!」


懐かしい。一気にこの曲に関する興味が増し、すぐにイヤホンをし携帯電話からこのフラワーカンパニーズの"深夜高速"を聴く。



なんだこの曲は…もうなんなんだよ。めちゃくちゃ良いしめちゃくちゃ刺さるよ。

あの当時は生きててよかったーとヤリマンが能天気に快楽を得て大喜びしてるだけの曲だと思っていたが全然違う。



壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない
だからといって全てに 満足してるわけがない
夢の中で暮らしてる 夢の中で生きていく
心の中の漂流者 明日はどこにある?

生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった

そんな夜を探してる




探してんじゃねえかよ、そんな日を。

探してたんだな、あの人。あんなパーティーに参加してながら。

戦っちゃってんじゃんあの人。


そして俺もいままさに探してるよ。

そんな夜も、そんな明日も探してるよ俺も。


この曲を聴いて崩れそうになる自分がいて、それがまた自分が追い込まれていることに気付いた。

そういえば、あのTバック女のリサも当時36歳だった。


私ももう36だ。

期せずしてあの時生きててよかった!と何度も叫ぶ女と同い年になったいま、この曲が深く深く刺さる。





まだ終われん。


あの時リサは、どんな心の葛藤を抱えてたのだろう。

そんな疑問も、そんな思い出もしっかりと背負い、私は渋谷駅へ歩を進めた。








今日現在、私の精神状況はかつてないほど限界にあると思う。

だが、それでも私は走っている。


逃げていいよ、と誰かが言う。


「逃げれたら苦労しねーよバーカ!!!」と叫びながら、私は走る。

周りのみんなも走っている。

知らない人も走っている。

知らない場所でも走っている。


走り続けるしかない。


その先の明日はどっちだ。

より素晴らしい夜はどこだろうか。


こんな迷走、自分以外の誰かに理解されてたまるか。




自分だけが辛いみたいなこと言いやがって。


そりゃツレェでしょう!


俺だってつらいわ!!!!!!

 

みんな頑張れ!頑張りましょう!