春山、お前…ループしてね?

俺は気付いてしまった。いまこの世界は、一周目ではないというのとに。

小切山、宇宙へ

15年前に映画を撮った。

映画と言っても大それたものではなく、大学内コンクール用の応募作品で、わずか20分程度のものだ。


もともと映画が私は好きだった。

高校時代は学校をサボっては親から貰った金で映画館で映画を観ていたし、土日になれば平気で朝から晩まで映画館巡りをして、その場所場所でしか上映されていない作品を観ていた。
それ自体が好きだったし、何よりそういう高校の過ごし方がカッコ良いと思っていた。

映画制作の専門大学へオープンキャンパスとは違うキャンパス見学へ行った際、案内してくれた大学生が「悪いけどこの大学、最低でも月に30本、年間300本は観てないと通用しないよ?キミいくつくらい観てる?月」と問いかけてきた時も「まあ最低でも30本は観れてます」と言い放てるくらい映画を観ていた。


男子校で彼女もいない私に30本映画を観ることなんて造作もないことであったのだと思う。


結局その大学には行かず、日に日に映画欲は薄れていき、月30本どころから年間20本も観れないような2年間を過ごし、ほとんど映画への興味を失ってしまい、初めて訪れたモテ期を満喫してしまった。

その為この学内映画コンクールの話を聴いたときも決して乗り気ではなく、むしろまあそういう経験が就活に有利っぽいからやっとくか程度だったと思う。


サークル内チーム分けの日、打合せとは名ばかりのメンバー同士による自分の好きな映画の発表会の際、「紀里谷和明キャシャーン」と答えた私は激しくバカにされることになった。

中でもイケメンでジャニーズ顔の小切山くんは「邦画は無いでしょ、どうやったって洋画に勝てない。紀里谷和明キャシャーンはその代表例だ」と言い、自身のオールタイムベストを「インデペンデンスデイだ」と言った。


サークル内で4作を学内コンクールに出展する予定であったが、兼任ありとはいえ小切山くんのチームは20人以上となり、私のチームは私をいれてわずか3人だった。







コンクール作品には「禁煙」という共通テーマがもうけられていた。


1ヶ月あまりの期間であったが、学食に行くたびに小切山くんのグループが大人数で席を陣取り、大声で次の撮影スケジュールについて歓談しているのを目にするのが、毎回嫌で嫌で仕方なかったのを覚えている。


「持ちうる資源、人間、時間、予算…その全てを使い切って素晴らしい作品にしたい。壮大なものを作ってみせる


彼はそう言っていた。



作品発表会当日、私のグループが出した作品はグループメンバーの実家内で、喫煙をしている主人公を喫煙により何もかもを失ってしまった未来の主人公が追いかけまわすというホラー作品であった。

健康被害を受けるであろう臓器を家の中から一つずつ探し出し、それで自身をアップデートすることでどんどん未来の自分が浄化されていくのだが、最終的には根源たるタバコを断つか生命を断つかを迫られ、突如現れた死神に何の前触れもなく大金を献上し、未来と現在が肩を組んでめでたしめでたしとなるストーリーだ。


自分達は皮肉をこめたつもりだったが、今にして思えばまあありがちな話であるし、発表会の場でこれが大スベリしていたのはハッキリしている。

順位こそつかなかったが、あれは紛れもなく最下位だった。



一方小切山くんのチームの作品は凄まじかった。

20分のその全てを、所謂大学の名物教授のワンショットに費やし、この教授がカメラに向かって「私の講義をきかない生徒を改善する方法は…禁煙!!」「スクールバスの本数を増やすのに一番に必要なものは…禁煙!!」
と何かと気になる事象の要因を喫煙のせいにして禁煙を呼びかけるという、エンタの神様低迷期のネタのような作品だった。



これが大ウケだった。


何より観に来ていた教授陣は大爆笑で、これを作った人は天才だとまで言っていたくらいだ。



打ち上げで小切山くんは「NASAに行って仕事をしたい」と言った。



「行けるよ、NASAだろうがCTUだろうがNCISだろうが」と彼に伝えると「ありがとう」と目も見ずに私に言っていた。

その後は何やら小切山くんは同じチームメンバーとクリエイティブなことでああでもないこうでも言い合いになり、喧嘩寸前になって取り巻きの高田さんが『二人ともやめなよ!』と大声でとめていたような気がする。








打ち上げ終了間際に石川さんが我々に話しかけてきた。

『コンクールに参加してた方ですか?』

と。

「そうです。一番つまんなかった作品の」

『ごめんなさい、出番の関係で観てないかも』


石川さんは同学年の筆頭女子で、入学式の新入生総代も務めていたほどで、私が彼女と話せる機会はこれまで一度もなかった。

その彼女が、私達が出した作品がなんなのかをロクに聴く気もないくせに、なんとなくで挨拶をしてきたことに私はウンザリしてしまった。

そして彼女は小切山くんのチームのメンバーだった。

「石川さんのチームの作品はすごかったですね。誰が考えたんですか?あの教授に漫談させるって案は」

『全員ですね!とにかく一生懸命考えました!!』

「へー。すごいなー。かなわないなー」

『ちなみにそっちはどういう作品だったんです?』

「いやー。そちらに比べれば語るにも値しないくらいなので」

『そうなんですね。それじゃまた!』


内容も聞いてくれんのかい・・・

本当であれば総代表たる彼女に言いたいことをぶつけたかった。

内輪うけだけのクソ作品ですよね?とかあれ映画じゃなくて単なるインタビューでしょとか。
NASAってNASAですか?彼バカでしょ?行けるわけないでしょあれで?とか。

しかしそれを伝える機会すら彼女はもうけなかった。


少なくとも、このコンクールにおける作品としては、あんな内輪ウケの5分程度で思いつくネタが、優れていたということだ。


「どの作品も素晴らしかったが、小切山くんは審査員が求めている、欲しているものに限りなく近いものをぶつけてきた。そこが他との差だ」


打上に参加した審査員の教授が酒をあおりながらそう語った。


「それの何が”映画”だよ・・・」


同じチームメンバーがボソッとつぶやいた。








20数年ぶりに家でインデペンデンスデイを観た。

あまりの面白さろと素晴らしさに、私は興奮を覚えた。

少年時代観たこの作品は、こんなにも面白いものだっただろうか。


同時に上述の思い出がよみがえった為、このようにブログに記している。

小切山くんも石川さんも、その後どのような人生を歩んでいるのかは存知ない。

だが少なくとも、それは審査員が求めるものを的確に提出したから評価された映画ではないと思う。



あの時思っていたことを吐き出すように、私はひとり狭い静かな部屋でつぶやく。

「お前らが映画語るなくそ!!!!!どいつもこいつも!」


私は映画館に行っていない。

いまは年に2回訪れれば良いほうだ。
コロナ渦まっただなかだった2021年に関しては、ついに物心ついて以来初めて、1年間で1度も映画館に行かなかった。

何年か前にミッドサマーを映画館で観ようとし、ロビーで爽健美茶を購入しようと並んでいると、真後ろに並んだ複数回目観賞の映画オタク3人組が大声で思い切りネタバレトークかましてからというもの、このサブスク全盛の世でわざわざ感染リスクも負い、人混みにまみれ、不快な思いまでする映画館に行く意味はまったくないと悟ったからだ。


いまもこの世界であまりにもたくさんの作品が生み出されていく。

目的はさまざまだ。もちろん、誰かの要求にこたえるためだけの物もある。


とあるオンラインサロン先駆者がSNSで声高に叫んだ。

「他人の一生懸命を笑うな!」

と。


そうだね。その通りだ。一生懸命だったらそれで良い。笑うことなんかしない。よくやった。


ならまずその一生懸命を一生懸命見せてくれよ。

後付けで一生懸命アピールする奴が、不安を払拭するように一生懸命だと叫ぶから、それがちゃんちゃらおかしくて笑うんだよ俺は。


あのわずか20分の屈辱。

どこかで返す機会を、俺はこれからの人生で探していくよ。一生懸命ね。特別お題「今だから話せること